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2013年のJEFユナイテッド [いわゆる日記]

今日は大晦日、すでにシーズンが終了し一ヶ月が経過しました。リーグ戦は5位で終了。プレーオフ準決勝は4位徳島と1-1のドロー。リーグ戦順位のアドバンテージにより徳島が決勝進出。ジェフはここで敗退。来年もJ2を戦うことになりました。ここで今シーズンを自分なりに総括。

昨年はプレーオフ決勝敗戦で前任の木山さん退任決定。12月上旬には川崎や五輪代表監督を勤めた関塚さんにオファーとの報道。就任濃厚とまで報じられましたが結局破談。その後12月26日に鈴木淳さんの就任が発表。ここでの一ヶ月の出遅れで鈴木淳流チーム編成が出来なかったんではと思われます。年明け武田、荒田レンタル終了、大宮の監督時代に干した?藤田がマリノスへ電撃移籍。新加入はキム、ナムのコリアン若手コンビとジャイール、ケンペスのブラジリアンコンビ。(栗山君はリハビリ)前線から守備の出来るFWが去り、課題のボランチは勇人、大介、健太郎、慶のまま。DFラインも智の衰えは昨シーズン後半から感じられてましたし。ケンペスは結果的には得点王になりますが勝負所では貢献できず、むしろ夏場まで守備組織が構築出来なかった一因になりました。藤田とは言いませんが荒田でも久保でもいてくれればと思われます。ジャイールはまあなんというかスペースありきなスペシャルな選手なんで。ちばぎんの渡邊圭二とのコンビは最高でしたがね。
どこからチームを組み立てるかはその方なりのカタチがあるんでしょうが前目に比べ中盤より後ろがちょっと駒が足りなかったですね。ボランチは阿部放出以来のジェフのウィークポイント。最終盤に山口慶起用が当たりましたがここの補強は必須ですね。

開幕。初戦は苦手札幌。ドローもやむなしと思ったロスタイムに決められて黒星スタート。二戦め熊本に3-0で快勝するもその後は栃木、鳥取にドロー。昇格のライバルG大阪とも引き分けて開幕からの5試合を1勝3分1敗と煮え切らない。続く北九州戦はケンペスが爆発の4得点。ジャイールも得点し今年の新戦力がようやく開花という試合。4月も1勝3分1敗。5月は愛媛、岐阜、富山、松本と4連勝。これで自動昇格圏もと思った矢先、長崎、山形に連敗。神戸△、横浜△ときてここからは徳島、東京V、富山、と4連勝。そして7/7フクアリにG大阪を迎えての1戦。3-0で圧勝。今年はいけるぞ!と思ったその勢いで山形、愛媛にも勝って6連勝。

しかし7/27の徳島戦から9月末まで●○●●△△○●●●と2勝2分6敗!ここ数年恒例の夏場の失速。3バック+両サイドが下がったチーム相手にポゼッションして攻め込んでロストして裏へ一発パスされ守備に戻る、、を繰り返すうちに足がとまっていくパターンですよね。いい加減学ばないといかんなあ。引かれた状態から崩しきって得点できてるシーンなんて数えるほどでししょ。セットプレーや相手のミスからショートカウンターで先制できた試合は相手も出てきて裏のスペースができてさらに追加点というパターンになるんだから。J1でも5バック気味に守るチーム相手からこじ開けるように得点できるチームなんてあまり見ないですよね。6連勝中の監督コメントでは「内容はないが勝点3だけが収穫」なんてのがよくありましたが、ここは割り切ってそういうゲームに徹したほうがいいんではと思います。上位のG大坂、神戸、京都あたりとは互角の内容だったのに中下位相手に苦戦するメカニズムをどうになしないと。引いてくる相手と、攻めてくる相手との試合運びを使い分ける必要があると思います。「自分たちのサッカーを貫く」なんての言葉はもうたくさん。

そして終盤10月11月は神戸、熊本、横浜FCに3連勝で息を吹き返すも札幌、長崎に連敗してPO圏内すら危うくなりながら栃木にドロー、最終節鳥取に2点ビハインドとなりPO圏外か、と思った後半残り10分、深井→森本で1点奪うとロスタイムに兵働のミドルで奇跡の同点。PO圏内に滑り込みました。そしてPO初戦は冒頭に書いたように引かれた徳島を崩せず。

そしてシーズンオフ。早々に鈴木監督の続投がチームから示唆されました。櫛野、渡邊が引退。その後伊藤大介が移籍リストに、米倉にはJ1昇格を果たしたG大阪からのオファーが。レンタルの久保が岡山へ移籍。まあ、こんなもんかと思っていた12/27に米倉移籍が発表。それに合わせたように山形から中村太亮加入(完全)、レイソルから山中(レンタル)どちらも左サイドのスピード、テクニックに秀でた選手。ヨネ移籍のマイナスを左サイドで補うという算段でしょうか。ケンペスが残ってくれれば左サイドからのクロスにケンペス!というシーンが見られそうです。後は前半にも書いたようにボランチ。ボールハンターな外国人なんて補強をお願いしますよ強化部、フロントの皆様。


父を見送る その6(完結編) [いわゆる日記]

葬儀を終えてホッとした。周りの皆様から心労をねぎらっていただいたがやはり慣れない事の連続で心身ともに疲れてたようで体重は近年最少に(すぐ戻ったけど)
さて、父亡き後の手続き系。年金、銀行口座、電話、各種クレカ、、、もちろん父が代表者だった実家の決算とかも。特に面倒なのが銀行口座。財産がない我が実家でも相続手続をしないと凍結された口座から一円も出せんない。被相続人、父の戸籍謄本、相続者の戸籍謄本、印鑑証明、を揃えて用紙に実印。しかも相続人を特定するためか父の出生から死亡までの全ての戸籍謄本が必要だと。父の本籍地は実家のある岐阜市なのだが元々はお隣、愛知県の一宮市の出身。ここは素直に役所に聞いてみると、、、あれ、まだ父の死亡届けが反映されてないとのこと。まずはそれを待つことに。その間を利用して今回の葬儀でお経をあげていただいたお寺さんを訪れてみる。四十九日法要の日程も相談してこないといけないし。市役所からは徒歩15分程度。山頂の岐阜城を見つつ古い街並みを進むと長良川の堤防に。そのすぐ脇にお寺さん発見。浄土真宗大谷派のお寺さん。葬儀のお礼と四十九日の日程調整。初七日から七日ごとに法要があり、12月26日がその日ではあるがあまり年末になるのも列席いただく親戚の方にも申し訳ないのでその前の連休に。
市役所に戻り戸籍謄本を受け取る。父の死亡がしっかりと戸籍に記載されてます。まだあまり父が亡くなった実感がないが、こうやってひとつひとつの事柄で実感していくんだろう。さて、次にすべきは?RPGみたいに役所の方から次のアクションを指示される。一宮市役所へ出向くか郵送で請求しなさい。出向いてる時間はないので郵送を選択。しかし用語が難解。謄本、抄本、全部事項、除籍、改製原戸籍、今はネットで調べられるが素人にはハードル高い。さらに費用の支払いは定額小為替だって。いちいち郵便局で買わねばなりません。10日ほどして連絡ありもう一枚定額小為替が必要だと、、、結局二週間強かかって到着。ここでまたまた次のクエストが。父の父、つまり祖父が一宮市の前に同じく愛知県の名古屋市から転入してきているではないか。昭和13年というから父はまだ7才。子供がいる年齢ではないしもういいんじゃないの?と思うが養子縁組だのなんだの可能性はあるからこれも必要なんだろう。一宮市にしたのと同様の手続きを今度は名古屋市中区に対して行う。またまた10日くらい経って連絡が。父と私の間柄を証明する書類を追加提出せい、とのこと。そんな事どこにも書いてないよ。直系血族なら特に必要なものはないと何度読んでもそう読めるんですが?と担当の方とやりとり。そもそももう随分時間が経っててそろそろ四十九日の時提出しようというタイミングに間に合わない。結局、送ってくれることになったが遅くとも金曜日には受け取りたいと水曜日の夕方会話して速達で送られて来たのが土曜日。役所は使えないなあ。

12月21日(土)四十九日法要。その日の朝、浦安を出て岐阜へ。

富士山

新幹線の車窓から富士山が美しい姿を見せてくれた。

法要の会場は葬儀と同じところ。ここの田中さんにはほんとうにお世話になった。今回も会食の会場を手配いただいたがとても美味しくかつやさしい味わいで大満足。

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今回お経をあげていただいたのは住職の息子さん。実直そうなお方。真宗大谷派ということでお経とお経の間に休憩が挟まりちょっと驚き。人間まだまだ知らないことが多い。

会食を終えてお集まりいただいた皆様にご挨拶。次回、お集まりいただくのは一周忌ということに。(その前に百箇日法要がありますがこれは身内で自宅にてすませることにしました)

10月末の容態急変から、亡くなり、葬儀、法要とこの2ヶ月は慌ただしく過ぎていった。まだ残った母の事や、実家の今後などいろいろな課題はあるが姉二人と相談しながら進めていくしかない。まずはここまでで一区切りとさせてする。


父を見送る その5 [いわゆる日記]

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11/10(日) 今日は告別式。10時から。お天気はあいにくの雨模様。朝、目を覚ますと葬儀場そばに住む従兄弟の奥さんから豚汁の差し入れ。あったまりました。ありがとうございました。

今日の予定は告別式、出棺、火葬、骨拾い、葬儀場へ戻って初七日法要。初七日は本来はその日にすべきなんだろうけど、また親戚の皆さんに集まっていただくのも大変なのでこの日に済ませてしまうことに。

葬儀は住職ともうお一方がお経をあげてくださる。浄土真宗というのは親鸞がおこした宗派。住職さんは肉食妻帯が許されるなど合理的な宗派だそう。焼香の際も額の前に仰いだりせずささっと2回焼香するだけ。お経もさくさくしてますね。40分ほどで読経終了。そして焼香。その後、ビデオ上映。これは取引先の方達が実家の店舗閉店の際に作ってくれたもの。昭和の高度成長期、賑やかな商店街の店で元気に立つ若き父の姿、BGMの時代(中島みゆき)が胸をつまらせる。そして喪主挨拶(うまく思いを表せたと思います)、出棺。

霊柩車で火葬場へ。骨拾いまでは1時間半ほど。姿かたちあった状態から小さくなったのを見てお別れだというのが実感される。骨壺を母がもって葬儀場へ戻る。ここからは初七日の法要。そして食事。15時頃、この日の予定終了。ここで私の家族は帰京。私は実家へ。肉体的には大したことはしてないがどっと疲れが出る。明日はもろもろ残務整理、と四十九日法要の相談など。まだまだやるべきことはあるなあ。


父を見送る その4 [いわゆる日記]

11月9日(土)自宅での仮通夜を終えて迎えた朝。今日の予定は

9:00 礼状の内容を電話にて確認される

10:30頃 湯灌、納棺の儀

16:00頃 自宅から出棺

18:00 通夜式

ということ。割と余裕があるように思えたが実際は通夜式に参列する私の姉弟の家族、総勢14名が実家に宿泊するための準備をしなければならなく朝から布団を十数枚出して敷いてを行う。

 

そうそう通夜や告別式では喪主が参列の皆様にご挨拶をしなければならない。葬儀社さんから原稿をいただいたのでまずはこれを頭にいれることに。後は父との思い出や感謝の言葉を付け加えるとしよう。

朝イチで葬儀社さんから電話。お礼状や式でのアナウンスのネタを聞き取り形式で拾っていただく。「お父様はどんな方でしたか?」「ご趣味は」「今、どんなお言葉をかけてあげたいですか」まあ、当たり前の質問ではあるのだが、相手はプロ。この日の夜の通夜の最後のアナウンスでは思わず泣かされてしまった。

 

10:30 湯灌の係の方が到着。湯灌とは故人の体を洗い清めること。20代の男性二人が湯灌師の方。清めることに加えたまっていた腹水を抜いてもらい、死に化粧してもらう。黄疸が出ていた父の顔も化粧でいい色艶にしていただけた。湯灌師の方が十歳くらい若返りますよ、と言っていたがまさにその通り。儀式としては身内が少しずつ体を拭いてあげて終了。

その後、棺が用意されて納棺。えいやっと棺に運び入れる。こうやってだんだんと故人との距離が出来て覚悟ができてくる。

昼食をとる。「親が死んでも食休み」ということわざがあるが、こんな時でも食後は休憩をしないと体に良くないという意味。ちゃんと食べて、食後は休憩してその後働きなさい、ということだ。ご近所のうどん屋さんに母や姉、姪とでかける。

その後、地元JR駅に到着した私の家族を出迎えに。家内と長男、次男。受験生の長男は模擬試験が明日あるそうだがこうなってしまっては。まあ、受験期になる前にこうなったからかえって良かったのかもしれない。気持ちの整理をつけてこれからがんばれと爺さんが言ってるんだ。

 

16時、自宅を出発。棺を移送車に。これから市内南部にある葬儀会場に。会場へ着くとすでに祭壇が用意されている。そこへ運び込む。ここからは普段、参列者としても見かける光景。ただし、違うのは会場のチェックという仕事が待っていること。葬儀社の田中さんが「喪主様」と言って近づいて来られて「いくつかチェックいただきたいことが」はいはい。供花、供物の名前、順番チェック。式次第、司会者の方と挨拶。受付をお願いした私の勤務先会社、営業所の方へ挨拶。一通り終えるとすでに参列の方が到着。入口付近でご挨拶。30代の頃、会社の仕事で販促イベントを仕切っていたことがあったがそれと同じような感覚の忙しさ。ただ、ここは幕張メッセではなく葬儀会場。

そろそろお寺さんが準備完了になるはず。こちらへもご挨拶に伺わねば。住職は私と同年配くらいの落ち着いた方。今後の法要のしきたりなどを教えていただく。今回は明日、葬儀後初七日までを済ませる。明日の葬儀のお坊さん追加(今回は1名追加)と法名(いわゆる戒名のこと。浄土真宗では法名<ほうみょう>というそう)をどうするかを依頼。通常は釋〇〇というかたちのもの。〇〇の部分に俗名という生前の名前から一字用いることもできるそう。さらにこの釋〇〇の上というか前の部分に院号というものがつけられる。本来、寺を建立する位の貢献をした者に送られる称号だそうが、そこは〇○の沙汰も金次第で金うん万円を追加で払うとつけてくれる。「どちらにしますか?」うーん、こういう松竹梅質問が多いのだ。あとで追加という訳にもいかないのでここは院号をお願いすることに。無形物ではあるが文字として見えるサービス、さすが伝来以来千数百年の仏教。商売がわかってらっしゃる。

そうこうするうちに通夜式の開始時間が迫る。挨拶の原稿をチェックしたりしつつ着席。住職入場。読経が始まる。ここいらのしきたりなのか宗派のなのかはわからないが通夜式は1時間程度であっさり終了。喪主としての挨拶、第一回目も無事に終える事ができた。

ふーっ。通夜の後、親族が残って食事がてら思い出話に花を咲かす。叔父、叔母も年をとったなあ。(まあ自分もそうだけど)

この日は葬儀場に亡き父と母、義兄二人と泊まる。葬儀場スタッフは21時頃には帰宅。私達家族だけに。お風呂もあってなかなか快適な宿泊環境。父の横で母、義兄とビールを飲みつつ思い出話にふける。義兄らからすると嫁の実家の義父の印象は強烈だったらしい。ただ月日が流れてそれらもいい思い出になったというような話。そのまま夜が更けてこの日は終了。

いよいよ明日は告別式。


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